10月27日
金曜何してたっけ?確か癒着だったような(笑)。色んな話をする。鳥の水炊き&鳥料理のお店に行くのだがやたらお美味しんぼを見てるような店で「究極の〜」みたいなメニューが多かった。物事を表現する人は常に世間との闘いなのだ。それとまともに闘えないのなら表現することをしてはいけない。土曜、後輩の結婚式の二次会に行く。舞浜のイクスピアリ?というショッピングモールの中のレストランがその場所だ。まあようはディズニー関連のショッピングモールなのだな。人がうじゃうじゃいた。内容はあんまり覚えてない。なぜならビールをピッチャーで3杯ぐらい飲まされたからだ。お返しに新郎にピッチャーで倍返ししてやった。新郎は昔から飲んで酔っ払うと脱ぎだす男で有名だったのだがさすがに自分の結婚式では脱がなかった。でも気づくと周りが結構脱いでたな。俺様も上半身裸、と少し控えめにしておいた。聞いたら披露宴もこんなノリだったらしい。友達は選んだ方がいいなと少し思った。
今日は渋谷のWOMBに行った。格闘技イベントの「IKUSA」を見に行ったのだ。なんで見に行ったかと言うと練習生の三浦が出場してたからだ。三浦はガチガチに緊張してた。リング上の三浦はまだ緊張してた。グローブが小刻みに震えてる。Tシャツも脱ぐのを忘れてたみたいでゴング直前に気づいて脱いでた。そんな状態で勝てるほど格闘技は甘くない。一応DDT所属で発表してるんだからもう少しなんとかしてほしかったな。まあ結果は惨敗だ。試合後控え室の三浦は落ち込んで隅っこで体育座りをしていた。落ち込むぐらいなら試合に出るなよ、と思ったのだが可哀想なので言わなかった。まあもうちょっと練習してほしいな。
いわゆる週刊プロレス、佐藤編集長に関することは別項目にすることにした。この俺様日記は俺様の日常を勝って気ままに描いてる、今回の件ははあまり日常と関係ないことなのだ。一番下の方に書いておくので見たくない人は見ないですみます。タイトルは「菓子折り日記」に決まりました(爆)。

「菓子折り日記」10月27日
佐藤編集長には前回HPにある抗議文をファックスで送っておいた。当然リアクションはまだない。このままシカトなんかはさせる気ねえよ、と思ってたら今度は別の方面から火の手は上がった(笑)。いわゆる宍倉次長の週プロ愛モードにおける「次長主義電脳版」である。その10.24にこう書いてある。
『話は変わって 今週号の編集後記でもふれているように、DDTがリング上で「菓子折りは必要なかった」とやっていた。どんなことでも”ネタ”にしてしまう。よくいえばこれぞDDTイズムだろう。そのことを佐藤編集長は好意的に解釈していたが、私は
物わかりのいい人間ではない。というか、どんなことをされても「まあまあ、いいじゃないか」とみんながみんなやさしく受け止めてしまっていいのだろうか、という気持ちがある。前に”ヤマモ”こと山本氏が編集部に来たとき、JWPの扱いについて、かなり文句をいったことがある。私が対応したのだが、そのとき山本氏がいった一言を私は忘れられない。「どうして、DDTは優遇されているのですか?」。それから、しばらくして山本氏はJWPをやめ、よりによってDDTのリングに上がっていた。あいたくちがふさがらない、とはこのことである。こんなことがいつまで続くのだろうか? 団体がマスコミに抗議するのは、ほとんど新聞はありえず、専門誌の宿命である。いま、プロレス界の大同団結が叫ばれているが、プロレス記者クラブがむずかしいとしても、せめて専門誌(紙)3つによる”紳士協定”をぜひとも結びたい。その3つこそライバル意識が激しいから、難しいのは百も承知。でも、決して不可能ではないはず。前に、ある団体がゴングを取材拒否しそうになったことを耳にはさんだが、私は「やれやれ」とは全然、思わなかった。じっさいに取材拒否になっても(ならなかったが)、うれしくもなんともない。ある団体がゴングを取材拒否したとき、週プロもファイトも「じゃあ、われわれはオタクを掲載拒否します」と”反撃”したら、どんなに痛快だろうか真剣に検討します。

『”紳士協定”』を呼びかけることができるような『物わかりのいい人間』だとも思えないのでやるなら勝手にやって欲しいのだが、山本氏のくだりは見過ごせない。昔山本さんと話したことあるのだがこんな話ではなかった。案の定山本さんに確認したら全然違う話であった。DDTという言葉も出ていない。まったくの事実誤認だ。これに関しては山本さんが個人的に動くということなのでこれ以上は言わないが正直『あいたくちがふさがらないとはこのことだ』。山本さんの名誉にも関わることなのに、事実誤認を平気で書くような人間を『みんながみんなやさしく受け止めてしまっていいのだろうか』という気持ちがある。 宍倉次長が『”反撃”』してきても、なんとも思わない。逆に『やれやれ』って思うよ。たとえ事実に気づいて謝罪しても『うれしくもなんともない』がそうなったら『どんなに痛快なことだろうか』真剣に検討して欲しいよな。
最後に一言『こんなことがいつまで続くのだろうか?』

追記:
高田馬場のお店だったと思う。
三浦が当時お世話になってた方がIKUSAに関与してて出場が決まった。最初は経験だから出てみれば、と甘く考えてたのだが三浦の実力および精神力は想像以上に貧弱だった。この時なぜかケン片谷さんも違う試合に出てた。
菓子折り日記と俺様日記を分けたのは分けてくれという声が多かったから。

「菓子折り日記」追記:
「次長主義電脳版」はわりかし楽しく見させていただいていたのだがこの件以降はあまり楽しく見れなかった。結局、記憶を捏造していたらしく山本さんには謝罪があったがDDTには全くなかった。今から考えるとあまり真剣に突っ込むような人じゃなかったように思える。「面白いこと書いてるなあアヒャヒャ」と笑ってるぐらいがちょうど良かったような気がする。